未来は背中から。
先日、打ちひしがれて相談してきた友人に伝えた言葉がある。「未来は背中からやってくるんだって」
「未来のうてな」という漫画のセリフだったっけ。あたしたちは未来に背を向けているから、過去は見えるけど未来を見ることができない。
今まで通って来た道は一つだけど、背中から伸びた道にはたくさんの選択肢があって、それが時々天使の羽根のように広がって見えるんだ。未来が怖いのはそれが見えないから。背中を向けて歩いているのだから怖くて当然だ。
だけど、未来が見えないと思うのはそこが暗いからじゃない。きっとまぶしすぎるから。
例えその場限りの慰めにしかならないとしても、彼の心をいくばくかでも楽に出来たと知ってあたしはほっとした。大事な友達だったから傷つけたり、哀しませたりしたくなかった。
今以上を望むのはきっと誰もが同じ。他人からみてどんなに幸せそうに見えていても人は誰もが現状の自分に満足することはないのかもしれない。
落とし穴はどこにでもある。だけど全く見えていない穴なんてほんの僅かだ。人は自ずからそこへ身を投げている。自分の意思によって。
例えそうするしか選択肢がなかったとしても、「そうするしかなかった」ことを言い訳にしながら。
じぶんのことはじぶんでしましょう。
くつはそろえてぬぎましょう。
ひとのものをぬすんではいけません。
いのちはだいじにしましょう。
いもうとをなかせてはいけません。
おやつは300えんまで。
人生における大事な事の全ては、全てひらがなで教わった。かつて若かった母親や幼稚園の先生から。
そう、最初に君が投げ込んだのは確かミドリガメだったよね。君が初めて命を奪ったあの日から、君はいつも心の何処かで恐れているよね。
いつそれが落ちて来るのかと
いのちはだいじにしましょう
いのちはだいじにしましょう
いのちはだいじにしましょう
あのころ
言葉には確かに魂が宿っていた。だから、罪は重くのしかかる
怖くて
怖くて
怖くて
見えないからその先が
人はきっと、その恐れから逃れたいから飛び込むんだろう。自分が今まで投げ捨ててきたその穴に。そして飛び込んでしまってから、やっぱり後悔するんだろう。恐怖に負けてしまった自分が許せないんだろう。
でも、思うんです。笑っているんだから、まだ大丈夫。
アウシュビッツでも、ユーモアを忘れずに笑えた人が生き残った。今がどんなにどん底だと思っても、あなたは今ここにいて笑っているじゃない?
生きるために子供の臓器を売り渡す必要もない場所で。
笑ってる。それだけで。